SETI@homeがもたらしたもの

What does SETI@home brought us?
日本惑星科学会誌「遊・星・人」vol12 2003年3月25日号 pp.28-35 収録

野尻抱介(SF作家)
Nojiri Housuke


1. 成功した分散コンピューティング


 SETI@homeプロジェクトは1995年,UCBのデビッド・ゲディによって提唱された.アレシボ電波天文台で行われている観測に相乗りする形で1420MHzを中心とした宇宙電波を受信し,地球外知性(ETI)の有意信号を探索する.最大の特徴は分散コンピューティングによってデータ解析を進める点だ.受信地と発信源の相対的な運動量は未知だから,ドップラーシフトを様々に設定して有意信号を見つけなければならない.その膨大な計算量をこなすために,インターネットを通して多数のボランティアにデータを配布し,それぞれのパソコン上で計算してもらう.
 1995年はWindows95が発表されてインターネットが爆発的に普及しはじめた年だから,それとほぼ同時にSETI@homeは着想されたことになる.1997年にはウェブサイトとクライアント・ソフトウェアのプロトタイプが完成し,1998年末からベータテストが始まった.当初のクライアントはUNIX版のみだったが,翌年Windows版とMAC版が公開され,日本でも本格的に普及しはじめた.全参加者数は2003年1月時点で419万人,総CPUタイムは128万年,浮動小数点演算の回数は2.46×10の21乗に達している.SETI@homeが「世界最大のコンピュータ」と呼ばれるゆえんである.
 SETI@home公式サイトはボランティアの手で各国語に翻訳されている.日本語ページはhttp://www.planetary.or.jp/setiathome/home_japanese.htmlにあるので,最新の状況はここでわかる.

 SETI@homeを運用するためのソフトウェアは大別して二種類ある.ひとつはホスト・プログラム群で,計算に必要なデータを用意し,ネットワークを通して分配し,返ってきた計算結果を集計する.分配するデータは,アレシボ電波望遠鏡の受信データを300KBほどに切り分けたもので,ワークユニットと呼ばれる.
 もうひとつはクライアント・プログラムで,これは分散した先――SETI@homeの場合は一般参加者のパソコン上で動作する.クライアントはホストサーバーからデータを取り出し,処理して結果を返送する.処理時間の大半は高速フーリエ変換に費やされる.
 Windows/MAC版クライアントはスクリーン・セーバーの形態を取っており,パソコンの空き時間を使って処理を進める.設定を変えれば常時計算させることもできる.処理はネットワーク・アクセスを含めてすべて自動化しているので,参加者は何もしなくてよい.

 SETI@homeは一箇所のホストサーバーにすべてのクライアントがアクセスする一極集中型である.一般論として,このタイプはラッシュに弱い.SETI@homeも開始直後に予想を上回る参加があって,しばしばサーバーがダウンしていた.最終的に15万人も集まればいいと主催者側が考えていたところへ,開始から20日たらずのうちに50万人が殺到したためだ.
 筆者の想像では,これからの分散コンピューティングはホスト側の仕事をクライアント側に移し,クライアント間でやりとりするピア・トゥ・ピア形式に近づいていくと思われる.
 さらに発展すれば,特定のプロジェクトに特化しない,汎用のクライアントが普及するかもしれない.インターネットの互恵主義にそって,そのクライアントを持つ者は,自らプロジェクトを設定して他のクライアントに処理を分配することができる.そんな時代になれば面白いと思う.

 分散コンピューティングの課題には向き不向きがある.SETIの解析処理がうまく分散コンピューティングできたのは,あるクライアントが他のクライアントと関係なく,独立に計算するだけですんだことによる.
 現在,SETI@homeにおけるワークユニットの処理時間は一個あたり15時間程度である.パソコンを24時間つけっぱなしにして計算しても,一日に1〜2回ホストとやりとりするだけですむ.
 もし課題が流体シミュレーションの格子や重力多体問題の一部分だったら,部分が周辺に影響をおよぼすから,サーバーもしくはクライアント間の頻繁なやりとりが必要になるだろう.通信量が増えると,通信帯域の幅がネックになってくる.相手と通信できなければ計算はペンディングする.
 しかし,SETI@homeが始まった頃の一般インターネットユーザーの帯域幅はいまよりずっと狭かった.並列コンピュータのようには扱えないとしても,ブロードバンド通信が普及した現在では,このボトルネックもゆるみつつあると考えていいのではないだろうか.

2. SETI@homeがヒットした理由


 SETI@homeの参加者はすべてボランティアである.無料でこれだけのCPUパワーが得られるなら,うちでもやってみよう,と考える研究者もいるのではないだろうか.
 しかし,世の中そううまくいくものではない.SETI@homeがヒットしたのはそれなりの理由がある.それを以下に挙げてみよう.

(1) 魅力的なテーマ
 ETIの探索は一般受けするテーマである.すぐに成果が出なくても,想像力をかきたてるものがあり,自分が発見者の一人になる可能性もゼロではない.
 テーマを魅力あるものとして一般に伝えることは,とかく細分化され,何をやっているのかわかりにくい現代科学においては難題であろう.
 市井の科学ファンである筆者からみれば,惑星科学は華があるほうである.しかし,たとえば本誌『遊星人』を読みこなし,その面白さを味わうにはそれなりの知識が求められる.中学・高校での地学教育が絶滅寸前にある現状を思えば,テーマの魅力を伝えるにも工夫が必要であろう.

(2)競技性
 SETI@homeプロジェクトには,ワークユニットの処理量を競う競技が当初から付随している.これが自作PCマニアやパワーユーザーと呼ばれる人々をひきつけた.ありあまるCPUパワーを腐らせていた人々にとって,SETI@homeはやりがいのある挑戦だった.浮動小数点演算の処理速度を競うことが当時は新鮮で,一種のベンチマークテストとして楽しんでいた向きもある.
 SETI@homeがスタートしてまもなく,グループ制度が始まった.これによって参加者は他の参加者とチームを組んで処理量を競えるようになった.グループにはカテゴリがあり,小学校,中・高等学校,短期大学,大学と学部,小規模会社,中規模会社,大規模会社,クラブ,政府機関に分けられる.グループの多くはウェブサイトを持ち,仲間どうしで情報交換しながら処理速度の向上を工夫する.
 プロジェクトが始まった頃は頻繁にホストがダウンしていたので,それに対処するアプリケーションが参加者側で作られた.ホストが元気なときにワークユニットをまとめてダウンロードし,リザルトもまとめてアップロードするというものである.これを使えばホストがダウンして他の参加者が計算を中断している間も処理を続けられる.当時の参加者たちはホストサーバーの故障さえも楽しんだのである.
 SETI@homeのウェブサイトを見ればわかるとおり,グループ以外でも周到な統計処理が行われている.個人,ドメイン,OS,CPU,プラットホーム,国,使用場所ごとにワークユニット処理数のランキングが発表され,意欲を駆り立てる仕組みになっている.

(3)クールなソフトウェア
 SETI@homeのWindows/MAC版クライアントは計算経過を美しいグラフィックスで描き出す.科学のプロジェクトに参加している実感がわくし,ぼんやり眺めているだけでも楽しい.
 その一方,グラフィックスは処理時間を食うので,消したまま実行することもできる.競技派の参加者はそちらを好む.
 クライアントのインストールはまったく簡単で,800KB弱のダウンロードをして実行すればユーザー登録まで自動的に行われる.
 ホスト側のウェブサイトもよくできている.各種のランキングは毎日自動更新されているし,SETIを理解するためのアウトリーチ情報も充実している.観測の進捗状況も星図上にプロットして表示される.
 ホスト側でグループの名簿管理やグループ内ランキングの集計もやってくれる.自前でグループ用のウェブサイトを持たなくても,必要充分な環境が提供されていることになる.
 SETI@homeの各ソフトウェアは最初からかなりの完成度を持っていたが,幾多のトラブルを経て,さらに磨きをかけてきた.ウェブサイトがクラックされたり,クライアントが不正改造される事件もあったが,いまは安定している.それだけの労力をスタッフが割いてきたということである.

3. ドレイク方程式で遊ぶ


 先に,SETIは魅力的なテーマであると述べた.ここからは一SF作家として,SETI一般について考えたことを述べたい.ただしSF作家は嘘をつくのが仕事なので,以後の見解も「面白半分・まじめ半分」のスタンスにあると思っていただきたい.
 当初2年間の予定で始まったSETI@homeは,延長されて今年で4年めになる.継続は喜ばしいが,参加者はいつになったらこの電力とCPUパワーを奪うクライアントをパソコンから追い出せるのだろうか.
 SETI@homeはそうやって,ETIが発見できない現実を毎日のように思い出させてくれる.実はこれこそSETI@homeがもたらした最大の成果かもしれない.
 SETIがあいかわらず『未発見』の結果を返していることは,ドレイク方程式のNが1,つまりこの銀河には人類しかいないことを支持する.そう仮定することから考察を始めてもいいだろう.
 ドレイク方程式についておさらいする.式は以下の項目からなっている.

 N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L

N : この銀河系内に現在存在する文明社会の数
R* : 1年当たりに銀河系で生まれる恒星の数
fp : 恒星系が惑星を持つ確率
ne : 太陽型の惑星系のうち,生命の存在を許す惑星の数
fl : それらの惑星で実際に生命が発生する割合
fi : それらの生命が知的生命体にまで進化する割合
fc : それらの知的生命体が技術文明社会を発展させる確率
L : そのような技術文明社会の寿命(年)

 ドレイク方程式とは,いわばSETIに積み上げられた課題の整理である.あるいは,ドレイクが仕掛けたSETIの宣伝コピーともいえよう.式はETIを発見すればこんなすごい未知数が埋まるよとアピールしているように思える.
 それだけに,信頼できる数字を代入できる項はほとんどない.その中で進展著しいのがfp項であろう.近年,系外惑星が相継いで間接観測されている.連星系に惑星が存在しないと信じられていたのは過去の話で,昨年も三重連星系HD178911Bに木星サイズの惑星があるという論文が発表された.
 これまでに間接観測された系外惑星は木星サイズのものが多いが,その衛星系は生命発生の舞台になりうる.また,観測されやすさもあって恒星に近い軌道をめぐるものが多く,なかにはハビタブル・ゾーンに入っているものもある.
 過去の試算では,fpは0.1から1の間にあった.この見積もりが大きいほうにシフトしてきたことは間違いないだろう.
 そうなると気になるのが,「Nが1のままならば,fpが増えたぶん他の項が減っているはずだ」ということである.相当に乱暴なロジックだが,SETIに関心のある人なら一度は考えるのではないだろうか.生命が発生する場所は多いようなのに,なぜ異星文明は発見できないのか.そこで見積もりを下方修正できそうな項を探してみる.
 R*項は比較的観測が進んでいそうだから,これまでの見積もりを信じることにする.
 ne項はこれまで1という見積もりが多かった.惑星はまばらに存在するから,ハビタブル・ゾーンに入るのは一星系に普通一個しかない.しかし木星がハビタブル・ゾーンにあるとしたら,一挙にガリレオ衛星4つがneになる.大気を保持できるだけの重力があるか,宇宙線を遮る磁場があるかなどの否定要因もあるが,少なくともne項がこれまでより減る気配はない.
 fl項も減る気配がない.生命の発生は楽観ムードが支配的である.
 fi項,知的生命の出現予想は人によってかなり振幅がある.筆者の観察によれば,天文学や惑星科学の研究者は一般に楽観的で,生物学や進化論に通じた人ほど悲観する傾向にあるようだ.
 総合説進化論によれば,進化の原動力は自然選択と中立進化である.自然選択には必然性がともなうが,生物種が蓄積してゆく変異の多くは有利でも不利でもない中立的なものであって,特定の種が繁栄することに大きな必然性はない.進化とは「理」だけで進む将棋や碁ではなく,「運」に大きく支配された麻雀みたいなものである.それはカオス現象であって,地球の生命史をやり直したとしても知的生命が再現する確率はきわめて低い.実際,人間以外の生物は知性を持たないまま,子孫を残すことに長けている.自然選択が後押しするのは子孫繁栄であって,知性ではない.
 筆者が信奉するところの「平凡の原理」に反するようだが,総合説進化論は真っ当な科学だから,それを無視することは平凡の履き違えになるだろう.
 fi項は下方修正の候補に入れるとしよう.残る二つは技術文明の発生と持続だが,これもやっかいな項目だ.
 fc項.技術文明を築くのは理系的才能である.これについて筆者は少々ペシミスティックな信念を持っている.つまり21世紀の現在も,なにごとも人間中心に考える文系タイプが幅を利かせているわけだ.してみると,知的生命にとって理系的才能は余技にすぎないと思えてくる.人類の一部はたまたまその余技を持ち合わせていたが,ETIは永遠にストーンエイジで停滞しているのかもしれない.
 L項.技術文明の寿命について現在いえることは,予測ではなく予測可能性であろう.予測可能性は下がる一方である.冷戦時代が去ったいま,全面核戦争は起きそうにない.しかし環境激変はそれ以上の破壊力を持つ.これを予測できる者はいない.
 もうひとつ予測できないのが,技術文明が知的生命そのものを改変してゆく可能性である.もし自意識をコンピュータにダウンロードする技術が実現したら,自身を光速度で伝送でき,自由に複写でき,無限の寿命を持つだろう.他者との自意識の融合さえ可能になるかもしれない.これをオメガポイント文明と呼ぶ.個体の独立性,生存や生殖の本能的欲求から解放された知性がなにを為し,どこに進むかは誰にも予測できない.

 こうして検討してみると,ETIを発見できない犯人は最後の三つ,fi,fc,L項に絞られてくるようだ.いずれも一筋縄ではいかない問題で,特にL項などは科学の範疇を超えている.SETIと直接探査を全力で推進して,N項を先に固めたほうが近道かもしれない.

4. ファクトA論争


 ドレイク方程式はなぜ1のままなのか――これは「フェルミのパラドックス」として知られる,古くからある議論である.
 銀河にETIがあるとしたら,なぜいまだに人類と出会っていないのか.
 ひとたび技術文明が生まれれば,地質学的にはごく短い時間で恒星間空間に進出し,指数的に植民地を増やしていくはずだ.光速度の1/100しか出ない宇宙船でも,銀河を横断するのに1000万年しかかからないのだから.
 フェルミが言い出したこの問題を,天文学者のマイケル・ハートが継承した.ハートは1975年に「地球上における地球外生命不在の一解釈」と題する論文を発表した.
 この論文は「現在の地球上には外宇宙からやってきた知的生命は存在しない」という前提から出発している.この前提を「ファクトA」と呼ぶ.そしてこの前提からハートは「銀河系に我々以外に文明は存在しない.SETIの試みは金と時間の無駄である」と結論した.
 ハートはそれまでにあったフェルミのパラドックスの説明を以下の4つに分類している.

(1) 物理的説明
 地球外文明は何らかの物理的,天文学的,生物学的ないしは工学的な困難によって恒星間飛行が困難なゆえに,いまだ地球に到達していないのである.

(2) 社会的説明
 地球外文明は地球への飛来を望んでいないがゆえに,地球に来ていないのである.この範疇には,彼らは外部世界の探査に対する関心や動機を持たない,あるいはそれを実現する社会的,政治的機構がないなどの理由も含まれる.
 たとえば,
 (a)高度文明は精神的存在となり,宇宙探査には関心を示さない.
 (b)技術文明は核エネルギーを使用するようになると核戦争によって自滅する.
 (c)彼らは地球を銀河系の「自然保護区」と見ており,手をつけない.(動物園仮説)
 などの説がある.

(3) 時間的説明
 地球外の高度文明は最近になって誕生したので,我々を訪問する能力と意志は持っているものの,時間的にまだ地球に到達していないだけである.

(4) その他の説明
 地球外文明はすでに地球を訪れているが,我々が彼らを観測していないだけである.

 ハートはこれらの説明を各個撃破してゆく.

(1) 物理的説明の否定
 冷凍睡眠や核エネルギーを使えば恒星間飛行は可能である.時間がかかりすぎるとしてもそれは人間の尺度であって,もっと長寿の生命を想定することもできる.また,生体ではなく冷凍した受精卵を搭乗させ,目的地で自動装置によって解凍・誕生させることもできる.

(2) 社会的説明の否定
 さまざまな説に共通する弱点として,文明が一定の段階に達すると,そこにとどまることを前提としている.時代が変われば恒星間文明への関心も変化するだろう.核戦争による自滅説や動物園仮説も科学的根拠はなく,評価に値しない.

(3) 時間的説明の否定
 銀河系内でただひとつの高度文明が恒星間飛行の能力を獲得したとしよう.彼らはまず20光年以内にある100の星系に植民する.その100の植民星系はさらに別の星系へ植民化チームを送り出す.
 こうしてネズミ算式に植民していけば,わずか65万年のうちに銀河系全域に植民される.植民の速度をいろいろ当てはめてみても,数百万年のオーダーで銀河に満ちるはずだ.

(4) その他の説明の否定
 オーパーツやUFOを異星文明のものとする説はまったく評価に値しない.

 ハートの論文はなかなかに手強い.反論はつぎつぎに起きたが,決定打といえるものはない.
 反論のひとつを紹介しよう.イワン・アルマールが1992年に発表した説は,わりあいに説得力がある.
 高度技術文明は恒星間植民を開始するだろうが,近傍の有望な星系を植民地化するにつれて当初の植民化の意味が次第に薄れてゆくので,その進展は遅くなってゆく.また,文明が昇ってゆくべき環境条件の階段は前進するにつれて急峻になってゆくので,いかなる文明もこの階段を際限なく登り続けることはできないだろう.したがって銀河系内の文明の伝搬速度は自然界が提示する強力な減速効果によって停滞するのであり,彼らが地球にやってきていないから彼らは存在しないとするのは性急すぎるというものだ.
 ハート自身,文明が恒星間植民の動機を持つかどうかは一定不変ではないと述べている.高度文明が人口増加のコントロールもせずに,際限なく植民を続けると考えるのは不自然ではないだろうか.

5. ETIは人類の鏡


 ファクトA論争はSFの題材を拾うのにもってこいで,筆者はこれでずいぶん稼がせてもらった.
 筆者がハートの反論を支持するかといえば,答はノーである.ハートの主張の端々にある仮定にはパクス・アメリカーナなメンタリティを感じる.
 人類がETIを洞察するとき,なくて七癖,知らず知らずのうちに自己を投影しがちである.SETIの歴史を振り返れば明らかだろう.1960年に行われた最初のSETI,オズマ計画はτケチとεエリダニにアンテナを向けている.近傍星系のうち,太陽系に似ているものを選んだわけだ.
 現在の銀河にETIがいるとしたら,少なくとも一千万年は存続していると考えたいものだが,そんな存在がいつまでも発生地にとどまっているだろうか.
 1980年にはウィッテボーンによってダイソン球殻の赤外線輻射が探索された.ダイソン球殻は恒星をまるごと包んでその輻射エネルギーをフル活用しようとするもので,文明の進歩した形だと考えられた.筆者には,そんな浪費型の文明が長生きするとは思えないし,ダイソン球殻を建造するレベルに到達できるとも思えない.
 SETIの泣き所は他力本願であって,相手が現存しない限りゴールに至らない.奇跡的な偶然をアテにしないならば,充分に長い年月を生き延びた文明を想定するしかない.ところが地質学的な長年月にわたって存続できる文明のふるまいは,洞察することが非常に難しいというジレンマがある.
 寿命問題の一つの抜け道は,遺跡からの放送である.『2001年宇宙の旅』のモノリスもその亜種だが,当の文明が滅んだ後もメッセージを長年月にわたって放送し続ける装置を想定する.SFでは寂寞としたいい題材になるが,このアイデアの難点は,そんな装置を作れる文明がなぜ滅亡するのか,説得力のある説明がないことだ.
 寿命の長さでは,先に述べたオメガポイント文明がひとつの解であろう.しかしこの状態の知性のメンタリティはまったく予想できない.人類のような有機知性体を思いやって,わかりやすいビーコンを1420MHzで送信する動機を彼らが持つだろうか.
 我々は知的好奇心を持つことこそ知性の証と考えがちだが,そう信じていいのだろうか.実際,人間の風俗を観察してみると,我々はずいぶん無駄なことに知能を使っているではないか.
 人間の知性の出発点は,群居性のもとで他者の立場を洞察する能力にあるとする説がある.平均的な人間は表を丸暗記したり暗算するのが不得意だ.四次元空間を実感することもできない.そのかわり,かすかなしぐさや声の調子から相手の気持ちを察することには驚異的な能力を持っている.群れのリーダーの意図を察したり,デート中の相手の気持ちを把握する能力は遺伝子の継承に有利に働く.人間の知性とはしょせんこの程度のものだ.このような「動物的知性」が,オメガポイント状態になった「究極の知性」の中に残っているだろうか.また,究極の知性は動物的知性に関心を持つだろうか.

 宇宙に通用する普遍的な知性とは何か.SETI研究者の中には「我々と交信できるものが知性である」と定義する者もいる.ETIに関心を向ける存在こそ知的存在であると.冗談のようだが,案外理にかなっているかもしれない.しかし,そう決め込んでしまうのも少々もったいない気がする.
 人類とかけ離れた知性のありさまを突き詰めていくと,果たしてETIとのコンタクトがどれほど明白なものかもぐらついてくる.それは電波や光で搬送される,規則的で帯域の狭いシリアル信号だと思っていればいいのだろうか.
 電波、探査機に次ぐ第3の手紙として、微生物のDNAにメッセージを書き込むというアイデアがある。これを「生物手紙」と呼ぶ。
 微生物は長期保存が可能だから、これをカプセルに入れて宇宙にばらまけば、あとは自己増殖してメッセージを保存してくれる。生命の起源を宇宙に求める説は現在でも否定しきれていないから、あながち突飛なアイデアとはいえない。
 生物手紙の探索は地球上でおこなう。すでに手紙が地球上に届いていると考えるわけだ。
 1979年,横尾広光と大島泰郎はこの研究をおこなった.当時解読されたばかりのウィルス、φX174のDNA配列を調べてみると、特徴的な配列が121個連なっている部分があった。121といえば素数11の2乗だ。素数は自然界には存在しにくいから,知性の存在証明として有力視される数だ。なにか未知のデジタル信号を受け取ったときは、まず素数で区切ってみるのがセオリーである。そこで121個の遺伝情報を11×11の升目に並べてみた。

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 横尾らはさまざまな並べ方を試してみたが、結局意味のある情報は見いだせなかった。しかしこの試みは,そんな試みがなされただけでも非常に面白い.
 カール・セーガンはSF作品『コンタクト』のなかで,円周率πを充分に深いところまで計算すると,その数列の一部に何者かのメッセージが現れるという大法螺を吹いている.円周率にメッセージを織り込めるということは,その存在はこの宇宙の構造そのものを決定できることになる.
 我々の太陽も,チャンドラセカール限界を越える質量を注いでやれば超新星爆発を起こせるだろう.そのあとにブラックホールが生まれれば,特異点の内部に物理定数が少し異なる別の宇宙ができるかもしれない.その物理定数をコントロールできれば,我々はその宇宙に対してメッセージを送ったことになるだろう.
「君たちは孤独ではないのだ」と.

 このようにETIとのコンタクトは,その状況を考えるだけでも想像力の極限が試される.なけなしの動物的知性を振り絞って,宇宙基準にある普遍的な知性を洞察しなければならない.
 SETI研究の是非を問うとき,筆者の持論は「SETIは知的生命のたしなみ」である.SETIに依存して直接探査への道を踏み外してはならないが,安くできるのだから継続すべきである.たとえETIを発見できなくても,消去法で真実に近づくことはできる.
 それはまた,SETI@homeが人々の意識をETIに向けさせたように,モチベーションの維持においても有効である.ETIを洞察することは,人類自身を他者の目で見直すきっかけになる.SETIはあらゆる人類にとって最良の教材となりうるだろう.
 SETIに関して,プロの科学者に役割はあるだろうか.筆者は,一部の観測現場を除けば,純粋なSETI専門の研究者など存在できないと考えている.すでに述べたとおり,SETIは自然科学の範疇を超えた総合科学である.それを専門に扱うなど個人の手にあまる.また,実証可能性が低いことも大きな問題だろう.
 そのかわりに強調したいのは,結局繰り返しになるが,「SETIはすべての研究者のたしなみである」ということだ.先に系外惑星の観測成果からドレイク方程式を再検討したように,あらゆる分野がSETI研究に波及しうる.天文学や惑星学,生物学はもちろんのこと,考古学や歴史学,行動科学から源氏物語や枕草子の研究に至るまで,およそ研究と名の付く行為をするならば,心の片隅で「これには宇宙共通の普遍性があるだろうか」と意識してほしい.そうして得られた知見を集約し,相互に刺激しあってこそ,真に健全な知性といえるのではないだろうか.
 その結果,ETIのメッセージが電波に乗っている可能性が高いと考えられるなら,観測してみるべきである.電波天文台はSETIを異端視せず,少しでもテレスコープタイムを割いてゆくべきだろう.たとえアカデミックな成果が出なくても,その姿勢そのものが一般の人々を惹きつければおつりは返ってくるはずだ.
 SETI@homeチーフ・サイエンティストのダン・ワーシマーはこう語っている.
「議論はいくらでもできるが、実際に調べなきゃ決して答えは出ないんだ」
 筆者はこの意見に全面的に賛同する.貧乏くさい議論はやめて,とにかくやってみようではないか.
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