マトマタからドゥーズへ&サハラ徒歩ツアー
2007.7.23


 マトマタで40Dぼったくった男が、「明日からどうする? サハラに行くなら知り合いに信用できるガイドがいるから紹介しよう」と言います。信用できないので「不要ある」と答えましたが、「もし気が向いたら夕方5時にホテルのロビーに来てくれ。彼を呼んでおくから」と粘ります。
 6時頃、ロビーの前を通りかかると、そのガイド、ムハマドがまだ待っていました。いかつい顔をした30歳くらいの男です。
「ここからドゥーズまでの移動、ドゥーズでの昼食、移動途中のシーナリー・ポイントでの停車、ツアー出発点ザフレーンのホテルまでの移動と宿泊、ラクダで砂漠を渡ってキャンプ、その宿泊と食事、すべてひっくるめて165Dだ。行く先々で金を取ることはしない。何をするか、ここに書いておく」と言って領収書に記入して見せました。見た目は誠実そうな人物ですが、どうしたものか。
「私はイビキが大きいある。砂漠のテント泊は皆に迷惑をかけるから不可能ある」
「大丈夫。キャンプサイトは広いし、あなたにはスタンドアローンなテントを用意する」
「うーん、100Dなら考えてもいいあるが……」
「それは無理だ」
「120でどうあるか」
「160。これ以下は無理だ」
 覚悟を決めて160D払いました。「明日9時半に迎えに来る。10分前にはここに来ているから」と言ってムハマドは去りました。
 あとで近くのカフェに行ってこのことを話したら「ムハマドか。あいつはいい男だ。信じていい」とのこと。
 翌日、9時頃にロビーに行くとすでにムハマドが待っていました。運転手はサバーという若者。ドゥーズに向けて出発します。


 途中の町。山地から平野部に移行するあたり。


 電柱。


 高台にあるアンテナ。私は電柱とか鉄塔とかアンテナ類が気になってしょうがないもので。


 土産物屋。サハラ名物の鉱物、デザート・ローズ(砂漠の薔薇)がごろごろ。主成分は硫酸カルシウム、つまり石膏です。
 チュニジアの商店では庭石がわりにこれを飾っていたりします。夜も店の外に出しっぱなしでしたから、そう高価なものじゃないんでしょう。


 乗ってきた車。


 平野部。ところどころにナツメヤシの葉を編んだ防砂柵があります。日照を遮って測った外気温は29度C。しかし直射日光をあびると相当な暑さです。
 道路と砂漠以外なにもないところですが、たまに人が歩いていたりします。
 道端で老人がヒッチハイク、ただし親指を斜め下に向けるサインを出していました。それを見るとサバーは車を止め、ムハマドが降りてミネラルウォーターの瓶を手渡しました。
「いまのは友達あるか?」と訊くと「違う。水を求めていたからやったんだ」という返事でした。


 マトマタから1時間半ほどでサハラのほとりの街、ドゥーズに到着。これは市場の入口。


 サバーが市場を案内します。「ここで休憩しろ」と言って土産物屋のひとつに引っ張り込まれました。
「このターバンはたったの20Dだ」「アラビア風のパンタロンはどうだ」などと勧められますが、何も買いませんでした。
 写真は右がサバー、左が土産物屋の主人。


 市場のそばに建っていたアンテナ類。メッシュの粗いパラボラアンテナは何に使っているんでしょうか。


 レストランの昼食。奥がサラダ・チュニジアン、手前はブリック。


 ドゥーズから10kmほど西、ザフレーンのホテルに移動。ムハマドとサバーはここで別れました。あとはラクダ・ツアーの業者が引き継ぎます。
 道路の右側はオアシス(ナツメヤシの林)ですが、左はサハラの東部大砂丘が始まっています。


 ラクダ・ツアーの出発は19時。それまでホテルの部屋でくつろげと言われましたが、せっかくなので周囲を歩いてみます。
 16時半、まだ外は炎天下です。サマータイムが導入されているので、日没は20時頃です。
 左は自分たちとは別のラクダ・ツアーの事務所。


 電柱。地平線までこれが連なっているところは、『月夜のでんしんばしら』みたいです。


 碍子はガラス製です。


 こんなのが歩いていたり。


 ザフレーンの集落に入ってみます。しんと静まり返っていて、ときどき獣の啼き声だけが聞こえてきます。
 このあたりの人は、正午〜夕方はあまり出歩きません。気温は33度Cですが、日照のあるなしで体感温度は激変します。


 飼われていた羊。


 と、そこに現れたのは高校生くらいの青年。後でナハルと名乗りました。
「ニーハオ。中国人?」
「いや、日本人ある」
「フランス語は話せる?」
「いや、英語が少し」
「わかった。ここから歩いて10分くらいのところに見晴らしのいい砂丘と遺跡があるんだ。よかったら案内しようか?」
「いくらあるか?」
「いや……金はべつにいいんだ」
 と、目をそらし、言葉を濁します。ははーん、あとでふっかける気だな、と確信しました。でも観光旅行とはカモになりに行くようなもんですから、つきあってみることにします。
 “友情”のしるしにこどちゃポラで撮ってあげたのが左の写真。


 と、伝統的なベドウィンの扮装をした馬と人が絶妙なタイミングで通りかかって、こんな芸を見せます。彼にもこどちゃポラで写真を撮ってあげました。


 騎馬芸人と並んだ私。ナハル君が撮りました。どうもチュニジア人に写真を撮らせると、必ず全身像かロングショットになります。


 トカゲ。


 砂丘の前まで来ました。20mくらいでしょうか、結構な高さがあって登るのはきつそうです。


 稜線部分をすたすた登っていくナハル君。砂はパウダー状で、足を置くとすぐにくるぶしまで埋まります。しかし早い動きに対しては固結するので、さっさと歩けばあまり沈みません。


「あと少しだ。スポルティーフ、スポルティーフ!」とはげまされつつ登りました。
 正直きつかったですが――


 頂上からの眺めはなかなか。サンダーバードで見たような砂丘です。がんばった甲斐がありました。


 同上。


 同上。オアシスが見えています。


 記念写真。ナハル君にもらったターバンを巻いています。


 砂丘を降りてさらに進むと廃墟が。ナハル君の話では、ベドウィンの遺跡だそうです。


 日干し煉瓦でできています。


 内部。落書きがいっぱい。中央にあるのは冷蔵庫か何かの機械でした。


 同上。中央のアーチの割れ目の中にコウモリが棲んでいました。砂の溜まり具合もいい感じです。


 集落に戻る途中でみかけたゴミ捨て場。チュニジア人はどこにでもゴミを投げ捨てますが、掃除もこまめにしています。


 集落に入ったところで、いよいよ交渉が始まりました。
ナ「僕は砂丘と遺跡を案内した。ターバンもあげたし写真も撮ってあげた。しめて20Dでいいよ」
野「金はいいって言ったあるよ。今日は楽しかった。さよなら」
ナ「待って待って。僕は砂丘と遺跡を案内したしターバンもあげたし写真も撮ってあげた。あなたは20D払うべきだ」
野「私も君にポラロイド写真をあげたあるよ。ギブアンドテイクあるね」
ナ「だったらこんな写真いらない! 返す!」
野「私もガイドを頼んだ憶えはないあるよ。ターバンも返すある!」
 写真とターバンを突っ返す両者。10mほど離れたところで、彼と同年輩の若者二人がこちらを見てにやにや笑っています。
野「ところで君、名前は? この手帳に書いてほしいある」
 名前を知り合えば「日本人vsチュニジア人」という関係から個人の関係に移行できるので。
ナ「名前は……Na ha ru」
 と、離れて見物していた二人がゲラゲラ笑い出しました。ナハル君は真っ赤になって、手帳に書いた名前をぐしゃぐしゃ消し、代わりに「bechir ben ali sahouda」と印刷された旅行業者の名刺を差し出しました。このへんの機微はよくわかりません。
ナ「さあ、僕は砂丘と遺跡を案内したし写真も撮ってあげた。20D払ってくれ」
 ロジックはこの一点張りです。
野「私は貧乏なバックパッカーあるよ。20Dはとても払えないね。1Dでどうあるか」
ナ「ノーノー! 10Dはもらわないと!」
 いきなり半額かよ、と思いつつ、
野「2Dが限界あるな」
ナ「足りない!」
野「君はここに住んでるあるか?」
ナ「そうだけど?」
野「私は遠い遠い日本に住んでいるのだよ。ここで金をなくしたら日本に帰れなくなるある」
ナ「ふん……じゃあ2Dでいいよ」
 しぶしぶ2D受け取るナハル君。こんな野趣あふれるガイデッド・ツアーが二百円とは悪くない取引です。
野「ちょっと待つある」
ナ「何」
野「やっぱりそのターバンがほしいある。1Dでどうあるか」
ナ「それでいいよ」
野「このポラロイド写真と交換でもいいあるよ?」
ナ「写真はいらないったら!」
 口を尖らせ、1Dコインと引き替えにターバンを突き出すナハル君。手ぬぐいみたいな安っぽいものでしたが、チープな記念品を愛する私は満足しました。ホテルに戻り、ラクダツアーに備えてシャワーを浴びました。


 そのターバンと名刺。

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